こんにちはstelliterです。
昨日記事にて、
テニスにおいて『イメージを体現すること』の難しさをお伝えしました。
今回は、ではその難しい部分をわたしのようにセンスなきプレーヤーはどのように埋めるべきなのか
ここについて考えていきたいと思います。
まあ考えるといっても答えは一つ、、すぐに出ますけどね(笑)
それではいってみましょう。
❝テニスアディクトの会話❞
先日、埼玉でお世話になったAさんとの会話
Aさん曰く
Kさん(わたしの苗字)半端ない開催数だねぇ
いや~そうですか?Aさん僕のこと言えないッショ(笑)
俺も人のこと言えないけどさぁ、テニスキチガ〇がここにもいたかぁと思ってさ(笑)
こういう会話でした。
Aさんの埼玉数市においての開催数もかなりのもの。
今年はコロナ禍の影響で開催数も減っていますが、毎年こなすセット数が半端ではない、たぶん300~400セット(!!!)ほどこなしているはず。
わたしも昨年後半から今に至るまではなかなかのペースでやらせていただいてますが、せいぜい200~300セットくらい。
Aさんは週末だけでこれですからね。ようやりますわ
❝残された最後の切り札『量』❞
先日の記事の延長となりますが、皆さんにはありませんでしょうか。
コート外で用意してきたものがことごとく定着し得なかった事実。
きっとわたしだけでもないですよね、センスなき方っていうのは。
わたし自身、このような記事を『書くこと』は出来たとして、自身に置き換えてみた場合、時が経つごとに感じています。
「イメージしてやってみるはいいが失敗、その次も失敗、またその次も」
失敗することはとてもいいことです。しかし失敗を鑑みて新しいやり方を取り入れていくことも重要です。
そしてある一定のところで、、
これはきっと、この方向性、自分には向いていないのかもしれない
と考え始める。
それは一体何か
ここまでお伝えしてきたように、そんなわれわれに残された最後の切り札、それは
『量』
だと思います。
とりあえずコートに行きゃいいじゃん
センスがないならコート上の量で補うしかないんだな
という割り切りです。
❝これまでの上達はほとんどコートが教えてくれた❞
100%ではないにしてもこれは言えることです。
実際にコートでいろいろな方にお会いし、稽古(対戦)をつけていただいた結果が、、
『自分の今のテニスすべてである』
コートで過ごした時間に得たものが肥やしとなって自分の根っこになったとしか言い表せません。
- 飛んできたボールを見る
- 飛んできたボールとの距離を測る
- 適切な位置に適切なタイミングでボールに入り打つ
- 飛んで行ったボールを見つめ、また返ってくるボールに対し備える
- 一連の流れからリズムを掴む
これらを同時に行えるのはコート以外にはないです。
そして実際にいろいろな場で練習した結果を出すのもやはりコートというステージの上なんです。
ならば、イメージ力や体現する能力のない人は最初から同じステージに立って繰り返し練習する、経験することが一番脳裏に焼き付かせられる。
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てっとり早いという言葉は適切ではないかもしれません。
しかし仕事の下手なオペレーターに最も最短で機械に習熟させられるのはやはり実際に機械を触らせること
それも長い時間・期間をかけてです。
それとテニスの上達は全く同じ。
繰り返しになりますが、センスがないのであればなおさらです。
❝裏技=圧倒的テニス量の投入❞
「よーいドン」で何かを始めたとしたら上達に関して鈍足な人、いますよね。
こういう人は裏技ナシであるなら、人と較べてかなり遅れてゴールするのではないでしょうか。
では、
裏技使っちゃうとしたらなんだ?
それは
『テニスに対し、圧倒的時間と量を投入する』
これに尽きます。
やっぱりな~、単細胞(笑)
しかしゲームプランに長けているわけでもなく、ものすごいキラーショットを持っているわけでもない、なによりテニスIQが低いのなら仕方ありません。
もうご承知でしょうが、ここまでの語りはすべてわたしのことです(笑)
もちろん思考も重ねてきたとは思いますが、同じ状況下のプレーヤーの中では、とにかく時間を設けてはコートに向かう日々をかなり費やしてきた自負があります。
おかげさまで、今となっては少なくとも同じ年代で同じキャリア、もしくはわたしより少ないキャリアの人との対戦であるなら、、
まず負けることはありません
同じような経歴の方そのものが比較的少ないというのもあります(40代突入後いきなりテニスに目覚めた)、かなりテニス後発組ですからね。
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一つマイナスなのはコスパは悪い、、でしょうね(笑)
❝取り組んだ結果に反映される何か❞
いやいやそこまでするつもりないよ、、時間もないしね
そこまでがっついてどうするの?それで飯食ってるわけでもなかろうに
普通の社会人なら、ほかにやらなきゃいけないこともあるから
全くその通りかと思います。
テニスごとき、生活の基盤となるものを覆してまでやるものではありません。
しかし、それでも上手くなりたい、強くなりたいというのであれば、得るものと捨てるものの区分けをしなければなりません。
テニスを自分の中でどこに位置付けるのか。
「あくまで余暇でやっている。」
多少違いはあれども、このスタンスはそうそう皆さんの中で変わらないものと思います。
しかし余暇であっても、
- どのように向上できたか
- 変化したか
- 何をやってどのようなアウトプットを発見できたか
テニス以外の場面で必ず役立つことでしょう。
単に勝ち負けだけの話ではありません。
そこを見出すためにも、わたしはテニスにおいて何かしらの結果を出すことに注力するのです。
❝結果は自分で決められないけど、行動は決められます❞
時間をかけて努力したって報われないことなど日常茶飯事です。
しかし行動を選択することは出来る。
まず行動してみるか・・
そしてその行動したことはきっと次の何かに役に立つ、、少なくとも何かの物差しにはなり得ます。
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センスがあってもなくても同じこと。
残された切り札が『量』であるなら、、
わたしは明日もコートに向かいます。