こんにちはstelliterです。
最近思い出した言葉がありました。
別に尊敬しているわけではありませんが、やはり心のどこかで感謝している親父からのある『言葉』です。
今回の内容、、かなり私見の強いものとなっております。
皆さんにとってそうなのかは別として、少なくとも私に関しては当てはまっています。
もしくは、『あ、わたしもそうかもなぁ』という方には共感いただけるかもしれません。
いつもより少し長いのですが、もしお時間ありましたら是非
それではいってみましょう。
❝高身長、、本当に有利か??❞
以前、いつも楽しく拝見させていただいている「さえわたる」さんの記事にこうありました
これにはわたしも大いに共感するものがあります。
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私もさえわたるさんほどではないにせよ、一般的日本人の中では高身長な方だと思います。
185センチですから(ちょっと下にサバ読み気味で)。
若いころはMAXで189.4センチまでいきました(病院で測ってもらいました)。
要する“縮んだんですよ”(笑)
で、そのころから、さえわたるさんの記事ではないですが、背の高いことによる苦労もすごく味わってきました。
上げ始めたらきりがないくらいありますよ。
(個人的にいちばん嫌なのはコンサート会場のスタンディング。後ろの人に申し訳ない💦)
❝いつだったかの親父の言葉❞
本当に子どもの頃は別に嫌ではなく、むしろ誇らしかったんです、自分が大きい身体(細身ですよ)であることが。
しかし気にしだしたのは高校に入ったくらいの頃でしょうか。
親父が私に聞いてきたんです。
おいD(私の下の名の省略)
なに~?
ところでお前、、気ぃ小さいんか??
💦、、あ、うん、たぶんせやな💦なんや突然、なんでそんなん聞くん?
いやな、ワシもせやけどな。ワシの知っとる奴で背ぇ高いのん、ぎょうさんおるけど、気のデカい奴見たことないなぁ思てな(笑)やっぱりお前もそうなんか・・
・・・・・
いま思えば我が子に対して、親にあるまじき発言ですよね(笑)
あと数年で80歳の声を聴く年齢に差し掛かりますが、親父も確かに長身でした。我が家は高身長な家系です。
ともかくこのあたりで決定的になりましたね、、わたしの気が小さいことも。
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学生時代、校内でもわたしより背の大きな子も一人か二人くらいはいました。
そしてのち大人になり、いろいろな人と知り合っていく中、ごく数名ですが私と同じくらい、もしくは私よりも大きな人(これはほぼいなかったですが)もいらっしゃいました。
しかし皆さん漏れなく「気が小さい」、、ように見受けられました。
言い過ぎな主観となりますがそれにしても、この考え方は私の中で確立されていきました。
「世間一般で身体が大きい人に『気のデカい人』を見たことがない」
❝背の低い人にはわからない本当の悩み❞
さえわたるさんの記事にもあったような、背の高いことによって困る理由。
確かにそれもそうなんですが、なにより背の高いことによる本当に困る理由を書きます。
後に説明することを今の段階では書かないであえて断言します、それは一般社会に身を置いた背の高い人は、
「気が小さい人間になる確率が極めて高い」
これは決定的な根拠があると私は考えます。
- いやいやそんなことないでしょ??
- バスケやバレーボール、、ましてやテニスプレーヤーとか凄いメンタルの選手たちいっぱいいるじゃん??
こうお思いになったでしょうか。
しかし程度はともあれ、否定します。
理由は大きくは二つですかね。
- テレビで見ているそのプレーヤーたちはエリート、、だからトップクラスまでいける
- 周りの環境が背の高い人の気を小さくさせる
他にもたくさんあるとは思いますが、この二つにかなり集約されるのではないでしょうか。
理由は大したものでもないのですが、以下はそれぞれの説明です。
❝①の理由❞
どんな競技でもトップアスリートはなにゆえトップになれたのかという簡単な理由です。
たくさんの選手の中から選びぬかれたからこそ、テレビにも出られるような各業界のトップ選手になれたのです。
そこには信じられない努力、そして元からある才能もあったでしょう。
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しかしもう一つ言えるのは、そのトップを競い合う選手たち、、
『得てしてみな高身長、、身体の大きな人たちの集まりの中で勝ち抜いてきた』
こういう環境ではなかったでしょうか。
自分もまわりもみんなデカい。
そうなるとまず自分は
- 見た目だけでは目立たない
- どう見られているのか少なくとも外見を気にする必要がない
- 見た目で判断されることがない、余計な情報をいれられたり期待されたりはしない
これら一見、
目立てないんだからデメリットなんじゃないの???
まるで逆です。
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見た目から注目して取り上げられるファーストインプレッションで考えればそうかもしれませんが、代わりに大きなものを失います。それは
「抜け出そう、気持ちで上回ろうとする気概の成長」を損ないます。
周りも普通、自分も普通のスタートから始まると、まず少なくとも周りからバイアスはかかりません。
- 過度な期待がかからない
- 見込みで想像されない
なので周りの判断や言葉に影響されることなく、自分の思いに集中して取り組める。
これが逆に「メンタル的に大きく成長できる」要因となります。
❝②の理由❞
こちらの方が理由として大きいと思います。
よく聞きますよね、、背の高い人や体の大きい人に対して
- 「あなたは大きいんだからバレーボール上手いんでしょ?」
- 「きっとサーブ、ズバズバ入るんでしょ、だってあんなに背が高いんだから」
- 「バスケとかやってたんじゃない?」
- 「なんか格闘技とかやってたの?ケンカとか強かった??」
こういう逆エコヒイキな予想を先んじられてしまい、あげく思ったほどではなかった場合は
なんだ、見掛け倒しか
背、高いわりに下手くそだね
などと吐き捨てられる。
一度や二度ならまだしも、これらを幼少期もしくは感受性高い思春期にさんざん親なり指導者なり友達なりから評価されると、その子はどんどん委縮していきます。
わたしも単にデカイという理由で変な期待感ばかり持たれてしまい、あまり上手くなかったバレーボールやバスケの時間が本当に嫌いでした。
シュートとかスパイクとかバシっと決められると勝手に思われて、実際そうでなかった場合、周りの失笑を買うなんていう、訳の分からない人選をされてきました(まあ悪気はないんでしょうけど)。
別に普通の人と変わらないくらいの腕前だったと思うんですけどね、、それくらいまわりが勝手に上位レッテルを貼り付け、そして違ったと見るや再び引っぺがしていくんです。
ケンカはまあ、あまりしないものの「そこそこ自信もありました」がそれにしてもわたしは10代の頃は思いっきり文化系な学生でした、ギター弾いたりね(笑)
ですので
背が大きくなければいいのに
目立っちゃうから先に余計な期待をされてしまう
大したことなかった場合、一層低い評価を下されてしまう
こういう心理状況を生み出す仕組みが勝手に出来上がるわけです。
❝例えばテニス界で❞
ATPのトップ500選手の平均身長は昨年調べで185.5センチ(デカ!)。
https://mytennishq.com/what-is-the-average-height-of-tennis-players/
大きいですよねぇ、、しかし例えばその中でも飛びぬけて大きく有名な2選手といえば
カロビッチとイズナー
(二人ともその大きさが伝わるよう錦織君との2ショットww)
超が付くビッグサーバー二人ですが、どうでしょう?
みなさんのご記憶にある二人のイメージ、、
プレースタイルなんかも含めて、「臆病(悪い意味ではないですよ)」に映りませんか?
サーブは確かにスーパー強烈ですが、そのあとのゲーム展開ってどうでしょう。
アグレッシブなストローカーでもないし、特筆すべきプレーってありませんよね。
しかもカロビッチに至っては、バックハンドは90%くらいスライスでしのぎます。
サーブから組み立てる展開以外にはとても保守的なプレーヤー、、わたしはその30枚くらい下のレベルにいますが、雰囲気は常に自分と同じものを感じていました(較べるのも失礼ですね)。
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二人が私の考えるあまりよろしくない環境で育ってきたかどうかはわかりません。
尋常ならざる才能と努力がなければ、いくら大きく身体的に恵まれていても世界のトップクラスにまで上り詰められるわけがありませんから。
しかしいずれにしても「大胆不敵な心臓に毛が生えた」選手でないことは間違いなさそうです。
❝反対に小さい~普通の人に大物は多い❞
これも一定数あてはまりませんか?
小さい~目立たない普通くらいの身長(めだか師匠みたいに小さかったら目立つけど)の人は、自身の背格好にあまり気にすることなく育ってきていませんでしょうか。
むしろ小さいから(あえて失礼を承知で表現させていただきます)、
- 「どうせできないでしょ?」
- 「小さいから君には無理だよ」
- 「期待していないからさ、、無理しないでね」
など、過度に期待されることもなく、事に当たれるというのはこのことなんです。
そっか、もともと期待されていないんだし、いっちょギャフンといわしてやるか!
と奮起できる環境ですらあるとわたしは思っています。
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- いやいや贅沢言ってんじゃねえよ!
- 背が高いだけでも十分いろんな恩恵を受けているよ!
- 最初にチャンスを与えられやすいじゃないか!
ま、それをプレッシャーとも感じず前向きに転換できる人にとってはそうなんでしょう。
しかしそれって大多数ですか??
わたしは冒頭でも申し上げた通り、存在する絶対数、いわゆる『数の論理』からお伝えしています。
逆にこの余計な励ましが、その人の成長の妨げになっていると、言葉を吐いた人は気づかないのです。
出来るかどうかわからない難問に、いきなり高い期待を掲げられる無言のプレッシャーが時に人を小さくしてしまうのです。
しかもそこで失敗などしてしまったらもう大変、、さらに委縮化は進みます、、身体の大きさとは反比例に。
背の低い人が抱えるコンプレックスはやたらフィーチャーされますがそれと同じ、、いや私はそれ以上に背の高い人が好奇な目にさらされるその嫌悪感を身をもって経験しています。
何事も、なってみなければわからないものです。
❝背が高い、、生かすも殺すも環境次第❞
では、、
背が大きい、身体も大きいけど肝っ玉も座っている。
そうなった人たちはどういう成長過程を通っていったのか。
(この3人は人外レベルですが)
もちろん生まれ持った個人の素養も大きいでしょうけど、育ってきた環境がのちに大きく影響したと考えるのも正当な意見であると考えます。
お子さんの時の環境となると背や体の大きさの違いがある状況は避けられませんからね。
きっと如何にその先導者が子供たちを上手く誘導するのかということでしょう。
「自分は特別ではない」という認識が、実力でもって大きく見せられなければならないと奮起する大きな要因となりえます。
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わたしの会社の近くに体育館があり、たまにそこでバスケの実業団(Bリーグかも)が借りて練習をしているんです。
覗いてみたらやっぱりみな驚くほど大きい。
この中に入ったら自分も見かけだけは目立たなくて済んだ
なんて思いが駆け巡ります。
『贅沢言ってんじゃねえよ』
というお言葉もありますでしょうし、もちろんデメリットだけではないともわかっています。
❝気が小さいことも悪くない❞
ここまで説明してきたような内容をご覧になって
「ま、おまえはこんなこと気にしちゃってるから、デカい割に一般人に埋もれて気が小さくなったんだよ」
と蔑まれても別に構いません、承知の上で記事にしているんです。
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わたしはいまの自分の性格、、100%嫌いかと聞かれたら全くそんなことありません。
結果的に大きく産んでもらってよかったなぁと感謝しています。
若いころは先ほどの思考に大きく偏っていましたが、気が小さい・臆病である自分を飲み込めてきた、そうはそうなりに成長出来てきたという手ごたえも少しはあるからです。
今のテニスにおいてもそうです。
爽快なプレーはあまりできないけれど、極端に出来のバラつかない・格下にあまり取りこぼさないのも慎重さの表れ(逆に格上に勝ちづらい点はデメリットですが)ですね。
反対に少しでも緊張する場面になるとチビリ始めます(笑)
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少しでも改善はしていこうとは思いますが、きっとこの歳になって性格的な面で急激な変化など見込めるわけもありません。
なので喜んでこの性格を受け入れ、一生付き合っていくと腹を括っているんです。
❝子供の成長、、身体も心も大きく育ててあげたい❞
『大きいことはいいことだ』
わたしが生まれるもっと前に流行った言葉だそうです。
作者の本当の意図はわかりませんが、育てられた側も過度に意識することなく成長していける助けとなれるのであれば、この言葉を合言葉に子育て、、または大人育てできる環境を整えてあげたいですね。