アンディ・ロディック:実質『2003年で終わっていた』ミスター残念😵

こんにちはstelliterです。

今日はな~んとなくネタがなかったんですが、ちょっと思い出したようなある選手。

先日の『左手でラケットキャッチ倶楽部』ついでに、YOUTUBEで再びナルバンディアンの動画を観ていたんですが、

www.youtube.com

2003年全米準決勝のロディックVSナルバンディアン戦が私へのおススメにあがってきました。

 

この2003年全米はロディックがフェレーロ(同年全仏優勝、スペインの名選手)を決勝で破り、GS初優勝(これで終わったけどね)を飾りました(今時点男子アメリカ選手最後のGS優勝者)。

この決勝ももちろん私は拝見しております(リアルタイムではないけれど)。

www.youtube.com

そして、

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あ~、準決も観てみっか・・

となんとなく流して観ていたんですが、、

この後のフェレーロとの決勝もそうだけど、この頃のロディック、、キャリアハイの強さだな💦

本音でそう思えました。

当時ロディック21歳(かな・・)。結構若い年齢で地元のGSを制覇したわけで、伸びしろ十分。後の大活躍も大いに期待されました。

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前年にサンプラスも引退しましたし、アガシもそろそろ間近であろうと誰しも想定していた。

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よって『強きアメリカンテニスプレーヤーの正統継承者』は間違いなくロディックと皆認めていた。

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そう、認められるだけの強さが2003年の彼は余るほど持ち合わせていた。

 

皆さんも一度上記動画ご覧ください、、この準決そして決勝のロディックの凄み。

粗削りではあるものの、サーブからフォアへの三球目攻撃のすさまじさ。誰がブレークできるんでしょうねって感じです。

youtu.be

バックハンドやフットワーク(遅いわけではないけど、ドタドタ走ってる印象)に洗練さはないですが、それを補ってあまりある破壊力。

1stサーブは常に220~230キロを計測しており、準決のナルバンディアンなど、それほど厳しいコースに打たれたわけでもないけど、あまりの猛烈なサーブの威力に、つい見送ってしまうほどのえげつなさでした。

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(これはちょっと後のロディックだけど)

返ってきたとしても甘いアマイボール、あっさりフォアで決めてしまう。

この頃のロディックはフォアも思い切りがありましたね、フラットドライブなフォアを打ちに打ち込んでいたものです(引退時期付近の2010年頃は迫力のない、こってこてのスピナーになっちゃいました。)。

 

実にわかりやすいロディックのイケイケテニス。

そりゃ、アメリカの期待を一身に背負うわけですよね。

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(ちょっと髪もかわいそうになりつつあった・・)

で、その後のロディックはどうだったか。タイトルに

『2003年で終わっていた』

なんて書いていますので、後のキャリアは散々であったのか?というとランキング的にはそんなこともない。

2005年までは常にTOP3争い、そして2008年くらいまでもランキングTOP5~10を出入りしていました。しかし徐々に後退。

引退前年の2011年には明らかにTOP10陥落という感はありましたが、ちょいちょいは再びTOP10復帰などなんとか踏ん張り続けていました。

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(ちょっとわかりづらいけど2011年7月頃、、おそらく最後のTOP10入りだった)

そして引退の2012年までにツアー優勝32回。

素晴らしい戦績ではあると思いますが、アメリカの第一人者としての期待度から、少しだけ物足りない。

でもアガシとかと較べられちゃ可哀そうですね(笑)

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GSではその後4度決勝進出(全米1回・全英3回)、しかしすべて王者フェデラーにストップをかけられてしまいました。

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特に最後に決勝進出した2009年の全英は皆さんのご記憶にもあろうことと思います。

第4セットを奪いフルセット突入。ファイナルセットは14-16と大接戦の末に敗れましたが本当にあと一歩でした。

 

ロディックは特に対フェデラーにおいてはあまりにも悲惨なH2H(対戦成績)でした。

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確かキャリアで3勝21敗というかなりの『フェデラー被害者の会』の名誉会長っぷりを発揮していました。

ただ、

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フェデラーさえいなきゃなぁ、、💦

なんていうほど当時のツアー状況は既に生温いものではありませんでした。

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先のナルバンディアン、ヒューイット、ダビデンコ、そしてサフィンなど他のニューボールズ世代(1980年あたり生まれの選手)の中ではロディックは結構頑張ったほう。

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しかしながら、なんといってもすぐ下にナダル、ジョコビッチ、マレーというBIG4を形成する『バケモノ後輩3人衆』が育ってきていましたからね。

 

フェデラーがいなかったとて、ロディックがツアーを席巻するほどの選手となり得たかについては、誰も首を縦に振ることはなかったでしょう。

 

しかし2003年は全米優勝や、その年ツアー優勝6回、準優勝2回と飛躍し、同年後半ついにはランキングトップに躍り出ていたんです(こちらもとりあえず今時点で最後のナンバーワンアメリカ選手かな・・)。

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そしてランキングだけではなく、その圧倒的な勝ちっぷりも見事であったことから、繰り返しになりますが実に惜しい。

だけになおさら『2003年で終わっていた』と思わざるを得ない。

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(引退後、フェデラーに対して単独インタビュー、、素敵な写真です)

途中で路線変更することなく、愛すべき

『アメリカンバカスタイルテニス』

を最後まで実践してくれていればなぁ。

❝ミスター残念❞と銘打った私の印象、、あながち否定できないでしょ(笑)。