精神力のほうがよっぽど限界がある

こんにちはstelliterです。

 

『僕はねぇ、技術より精神のほうか限界があると思う。だから技術を追求するんです。』

これイチロー選手の現役時代、しかもメジャーで全盛期の頃の言葉です(確か)。

 

私なんかが死ぬほど恥ずかしいですが、コレって『まさに!』という感想しか浮かびません。

根性論そのものもボクは嫌いじゃありませんし、ことトレーニングに関しては気合いに依存する部分もあります。

 

一般的には、

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技術の向上には並外れた努力の継続が必要、その根底にあるのは精神力でしょ?

と思うかもしれません。

技術を支えるのはあくまで精神力だという、日本人らしい考え方。

ニワトリが先か卵が先かって感じで。

 

でもイチロー選手はそう解釈していない。

ただ単純に技術の研鑽にのみ重きをおく。その方が余計な思考に悩まされず集中しやすい。目に見えるものにフォーカスしたほうが分かりやすいし。

 

っつーか精神力を主眼に置くと話がややこしくなる、、なにより精神力を鍛えるってなんだよ?って感じでメンドくさいんでしょうね(笑)。

 

これは当然テニスにも置き換えられることで。

 

ちょっとオーバーな表現ですが、精神力ありきでテニスをしているとつまらなくなる。

ミスした原因も精神力、ここ一番で思い切ったショットが入ったのも精神力(度胸、みたいな?)。

なんでもかんでもショット結果が精神力ってんなら、それこそ精神が崩壊する(笑)。


例えばBIG3を思い浮かべてみて、フェデラー、ジョコビッチ、ナダルらが敗戦後のカンファレンスにて敗因を述べる時、あまりメンタル的なことを理由にはしていない気がします。

うん、第二セットから調子が落ちたね。

コントロールしきれなくなったんだ

ちょっと疲れちゃったね

 

だいたいこんな感じじゃないですか?

あくまでプレーの技術面やフィジカル、せいぜいフィーリングに言及するくらいじゃないでしょうか。

 

もっと言えば1試合単位でなく、シーズンひいてはキャリア通じても、いちいちメンタル的な部分を深く掘り下げるのではなく、あくまで技術的にどうであったか、成長を感じられるよう取り組んできたか。

 

大前提としてメンタル強くもないボクらのテニスも、その方が上達しそうです。