こんにちはstelliterです。
先日こういうツイートをしました。
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それぞれの人のそれぞれにおける可能性ってある意味もう決まっている。
— 脱中級🎾 stelliterのテニスアディクト (@stelliter1) April 16, 2020
悪く言えば限界ってあると思います。
サッカーなら8まで
テニスなら7まで
というように、お天道様がそれぞれにアサインした限界値って既にあると思います。
でも、ほとんどの人がその限界の半分にも満たない段階で辞めてしまう
ブログを始めて100記事目となりました。
自分的には記念です(笑)
それではいってみましょう
❝最終的なゴールは実は決まっている❞
上記ツイートの繰り返しになりますが。
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環境の違いはあれど、それぞれの人のそれぞれにおける可能性ってある意味もう決まっているんではないでしょうか。
悪く言えば、どんなに努力してもここまでしか到達できないという限界です。
例えば仮に10段階評価として
- サッカーなら8まで
- テニスなら7まで
- 趣向を変えて、ピアノなら9まで
というように、お天道様がそれぞれにアサインした限界値ってきっと既にあるんだと思います。
ただ、ほとんどの人がその各人の限界の半分にも満たない段階で辞めてしまうんです。
❝マインドブロックの脅威❞
前回記事と繰り返し部分になりますが、これは仕方のないことなんですよね。
特に日本人は、人や自分を
「評価・判断」
することが大好きです。
まだ初学者である段階で必要のない評価・判断をすることによって、どんどん自分の潜在能力を低く見積もるわけです(もちろん高く見積もるツワモノもいます)
同時期にテニスを始めた仲間がいて、最初は同じくらいからスタートしたんだけど、あっという間に仲間がグングン上達していった。
こういうことが一度や二度続いたとしたらどうでしょう。
どうしたって比較してしまいますよね。
「あんな風には自分は絶対に成長していけないんだろうなぁ」
と、勝手に自分でマインドブロックしてしまう。
無理もないでしょう。
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テニスに限らず、
親、先生、友人、そしてなにより自分から
君には難しいかな、、今の段階でここまでしか成長できていないし。上積みはちょっと・・
と指摘されてしまうこと。
言葉には出さないまでも自身にそう伝わってくる。
なにより自分で口に出して言ってしまうと、もう刷りに刷り込まれます。
❝最終的な限界は誰が決めるのか❞
一緒に始めた仲間や、なんなら後から始めた後輩が自分を追い越していく。
そんなことはどこの世界にでも存在します。
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先ほど、人の限界って決まっていると書きました。
これは人も自分もわからない、お天道様が決めたものです。
反対に言うと、
自分の限界がわからないからこそ、人はどこまでも努力を続けられる
と言い換えられないでしょうか?
自分が、
あ~もうここまでかな、、
と諦めたときに本当に成長はそこで止まります。
そして、先のお天道様が決めた自分の本当の限界の半分にも、いやそのまた半分にも満たないで線引きしてしまい結果、成長する自分を放棄するんです。
❝もしかしたらフェデラーですらきっと❞
きっと人間の能力の限界にまで達したとさえ思わせる、フェデラーやナダルすら
「もっとこうすれば、もっと良くなる」
と日々精進してきたはずです。
そして実は彼らでさえ、きっとお天道様が決めた、
「その人の限界」
には遠く達していないのかもしれません。
でも彼らは自分の限界など分からないし、ましてや分かろうともしていない。
だからあれほど自分を高めることができたんです。
❝努力することをためらっていないでしょうか?❞
- もう年だし
- 結構これまでやってきたよ
- いまさら頑張ってもねぇ
と年齢やこれまで費やしてきた年月を考えて、
「もう上積みはないでしょう」
と自分であきらめてしまっていませんか。
でもこれって、自分を言い訳にしている部分、ありませんか。
本当は、、
「まだまだもっとやりたい、、でもなぁ、周りに迷惑も掛かるし」
こうだったりしていませんか。
その気持ちはすごくよくわかります。
しかしですね、、
まだやる気はあるのに、あきらめるのはおかしいですよね。
理由はこうだと思います。
そこで努力を続けても続けなくても、、
その周りの人は絶対にあなたの結果に責任を取ってくれることなどありません。
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- 他人の邪魔をする
- 障害となる
というのであれば遠慮したほうがいい場合もあるでしょう。
しかし、それが周りの目や評価などであった場合、何の遠慮が必要なのでしょうか。
しかも「迷惑」ってなんのことなんでしょう??
自分がやりたい、続けたいと思っていることをあきらめる理由など始めから存在していないんです。
❝古畑任三郎のセリフ❞
有名な刑事ドラマ「警部補・古畑任三郎」の中で、田村正和さん演じる古畑任三郎が、家庭内外の問題に絶望し命を絶とうとしている旧友、津川雅彦さん(役名は忘れましたww)にかけた言葉、、
「例え、例え明日死んでしまうとしても、、、
やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか??」
すごく有名なシーン、、大好きな言葉です。
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もちろんこんなに大げさなことではないですよね。
我々がテニスを頑張るなんて言うのは。
まだまだこれからなんですから。
❝最後まで人は成長する❞
100m走を若いころからずっと続けていた人は、確かにそれ以上タイムを縮めることは不可能に近いでしょう。
でもそれができなかったとしても、もっと違う形の伸びしろって、その人に残されているのでないでしょうか。
それぞれの段階や置かれた立場なりに必ず人は何らかの形で成長し続けると思うのです。
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そう考えられる人は必ず成長します。少なくとも成長し続けようと行動します。
行動せずにいられないのです。
❝まとめ❞
- 限界はたしかに決まっている
- でも最終的な限界を決めるのは自身
- あきらめちゃいけないなんて誰も決めていない
- あきらめない人はずっと成長し続ける
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私事ですが、今日で自分もブログ開設後100記事に到達しました。
それほど苦労したとは思っていません。
たかが100記事です。
まだまだ自分が続けたい、、何よりそう思っているので、一層これからも積み上げていきたいと思っています。
みなさんと一緒にテニスも磨き上げて、、積み上げていきたいです🎾