こんにちはstelliterです。
皆さん今現在、テニスを始められてからどれくらいの年月が流れたでしょうか。
そして今存分に楽しんでやり切ってらっしゃるでしょうか。
今日は過去・現在、そしてちょっとだけ未来のテニスライフに関連したお話です。
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昨日会社において休憩時間、少し先の人生、、高齢化社会の話を部下としました。
まあそんな大げさな話をするつもりもなかったんですが、つい飛躍して下記のような流れになったんです。
人生100年時代ねぇ。Y君、高齢化社会に対応していくのも大変だよな
そうですね、でもあまり長生きしたくないんで自分
まあそういう考えもあるよねぇ、漠然とだけど何歳くらいまで生きたいなんてあるの?
いや~少なくとも60歳までにはこの世とお別れしたいですね~
え!?それは少し早すぎるんじゃないの(Y君は40代に突入したばかりですが)
いや~何なら明日死んでも俺構わないんで
えええマジかよ!?、、やりたいこととかやり残したこととかないの??
いや今死んでも家族に家は残してやれるし住宅ローンもチャラに出来るし。別に苦しんで死ななきゃいつでも構わないんですよ
いやだから、やりたいこととか、やり残していることとかないの?
特にこだわりもないし、死ぬまでにあの人に会おうとかあそこに行ってみたいとかもないんですよねぇ
・・・・そ、そうか💦
なんだか切ないというか。
『まて待てマテ、そんな意見少数派だろー』と思い、通りかかった他の先輩KNさんにも同じ質問をしてみました。
すると、、
いや~私も別に明日死んでもなんとも思わないですよ
KNさんは私よりも年上。たしかにY君よりも60歳に近いけど、それでも大体同じようなことを言うのです。
なんだそういうもんなのかなぁ人生ってのは・・
私の疑問として、まあ周りに迷惑かけまくって、世話になりまくり(下の世話もね😄)の余生を送ってまでも長生きしたいとは思っていませんが、さすがに『別に明日死んでもいい』とはどうしても思えません。
それはいま充実していないからなんじゃないの?
中途半端に生きているからじゃないの?
なんてもし言われたら、確かに100%反論はできないでしょう。
しかし逆に聞きたいと思うのは
いついつまでにこれをやりたいとか、いまこれが出来ていないから来月までに、来年までに、いつかこれが出来るようになりたい、、とかないのかなぁ💦
このように思ってしまいました。
これはほんの一端、、他にも『やり残したことがある派』の理由ももちろんあると思います。
家族・友人などともっと思い出を残したいと思っている
など人間的繫がりもそうです。
先に申しましたようにいつまでも長生きしたいとは思いませんが、さすがに明日死ぬというのは事が急すぎる気がするのですが。
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私個人で言えば少なくとも、、
明日からテニスできなくなっても悔いはないくらいやりきった!
なんて到底思えない。
やり切っていない、、まだまだ自分の中でああしたい、こういう風になりたいという想いが薄まらない。なんなら濃くなる一方(笑)
私はテニスを始めて先々月で8年経過しました。
よく飽きないでそれだけやれるよねぇ、始めたばっかの頃ならわかるけどさぁ
と呆れられます。
しかし私に言わせれば
いやいやテニス始めたころより今のほうが全然やる気マンマンです👍
ってところ。
よく言えば向上心・好奇心旺盛、悪く言えば中毒ですね、悪化してます(笑)
でもテニスに限らず趣味ってなんでもそうだと思うんですが、どんどんやりたいこととか自身に対する課題って減ることなどない。
むしろ増えていったりしませんかね?
成長したときに大いに喜び、壁にぶち当たりまた挫折しかける。
しかしそこで立ち止まらず次の改善を模索する。
たとえ簡単なものでなくとも、そういった『自分を試されている』ことってどのフェーズでもどんなジャンルでも必ず起こり得る、ごく自然なことです。
これが過度なものになってしまうと精神面でよくない影響が現れるかもしれませんが、良い方向に持っていけるとむしろ日々充実すると思うんですけどねぇ。
『明日死んでもいい』なんて絶対に少数派な意見だと思っていましたが、実はそうでもないのかもしれません。
あと400年くらいテニスやろっと🎾💀🦴
と思っていた私にとっては少しショッキング。
みんな人生達観しているのか、淡泊なのか・・・それともやはり私が未熟者で中途半端に生きているのか。。。
まあ人それぞれですからねぇ。