こんにちはstelliterです。
球出し練習・基本練習について
『アナタ、球出し練習するの?やらなさそうだけど。。。』
と、指摘されそうなタイトル。
今回は実戦100%主義、相手と斬り合う中で『戦いに活きる技術』のみ培おうとするstelliterとしては、ただの想像記事です。
ですが、己を振り返る意味でもきっとイイ日記になるかも。
ショットの種類問わず、球出しやパターン練習って皆さん一度はやりますよね。
特に、まだラリーに慣れていない初心者段階なら、わずかな期間であっても球出し練習はすぐ上達を感じられると思います。
それが緩い球出しであっても、ボールとの距離の取り方とか、どれくらいのインパクトでどれくらいボールが飛ぶのかの体感、、とかね。
でもテニスは、何年か続けて中級者あたり(何をもって中級なのかワカランけど)になると、他の部分に気が向いていく。
テニスにはあまりにも沢山の要素があります。
勝つ、勝ちたいとゲーム指向にシフトし、そしてそれが楽しくなると、ラリー練習くらいならともかく、ずーっと基本練習を続ける人は少ない。
むしろやらなくなる人の方が圧倒的に多いと思う。
本当はもっとその先、、基本練習を繰り返していくことこそ、ゆるぎない実力を身に付けることができたんだろうなぁと、この頃富みに思います。
当たり前ですがボクとて球出し練習やパターン練習をやったことが無いワケではありません。
でもかなり早い段階で、
こんなの意味ネェよ、テニスは実際に相手と打ち合い、殴り合ってナンボだろうが
同じ球なんか一球たりとて飛んでは来ないゲームに勝つために、球出しなんて非現実的。
時間のムダだとさっさとサジを投げ、実戦一辺倒なテニス観しか持たなくなった。
持てなくなってしまった。
早合点だったんだろうなと今になって感じますね。
それが今のツケが回ったなんちゃってテニス。
成れの果てです。
球出しでフォアハンドを100球打つ。
意味ないと思う。
500球であってもまだ変わらない。
1000球だとどうでしょう。
テーマを持ち、そして打ち続けた1000球。
少し変化が生まれていると思う。
じゃあ10000球なら?
きっと身体から離れることは無い、1000球で生まれた変化はその人に定着する何かに進化しているに違いない。
こういう過程をボクは通らなかった、実戦は何十万球も打っただろうけど(いやもしかしたら百万球だって)。
おのおの、どれだけ練習してもテニスの限界点って残念ながら存在すると思います。
でもその限界点に向かおうという意思など持たず、ほとんどの人がここにたどり着くことなくテニス人生を終えるんです。
信じる、、というか信じた者こそ、、、、
球出し練習が、基本練習が実を結んだよ、ときっと思えるんだろうな。