こんにちはstelliterです。
懐かしいこと思い出しました。
佐藤次郎
皆さんご存じでしょうか?
テニスをやってる人なら結構知ってるんじゃないかと思いますが。。。いや、知らねぇだろキミタチ(笑)。
(👇コッチのジロウさんじゃないかんね)
佐藤次郎
stelliterは確か高校生くらいの時にたまたま知った。
確か当時のヤンジャンに『栄光なき天才たち』という過去の偉人たちを取り上げて連載していたシリーズに登場したんです。
高校時代、テニスなんてしてなかったボクですが、それでも
「こんなスゲー日本人が存在したのか」
と驚いたものです。
まぁ彼の経歴はwikiっちゃえばそれで終わりなんですが、太平洋戦争より前に世界的大活躍した日本が誇る天才テニスプレーヤーです。
さて、どれくらいすごかったのか。
テニスがプロ化、オープン化される遥か昔ではありますが、1930年代当時の世界ランク3位まで上り詰め、錦織君が現れる前の最後のGSベスト4進出者(しかも全米以外の3つすべて)です。
テニス界の名だたる名選手としのぎを削り合い、『佐藤次郎ここにあり』とその名を世界に轟かせ、年齢だってまだ20代そこそこな頃。
これからナンバーワンだって夢ではないと日本の期待を一身に背負っていた彼のテニス人生は突然終わりを迎えました。
いや、、、
ヨーロッパ遠征中の船上から海に身を投げ、人生そのものを自らの手で終えてしまいました。
(👆しかも男前っスよね)
この時まだ26歳、たったの26歳です。
人一倍責任感の強い佐藤氏、遺書の中にはとてつもないプレッシャーが伺えたようです。
時の世は大日本帝国の名のもと、世界に恐れるものなし。
実質的な活躍期間はわずか3年ほど、しかしこの頃の日本を代表して戦い続けるには、人を破壊するには十分な年月であったようです。
想像に難くないですよね。
もし彼が選手生活をまっとうしていたとしたら、果たして今の日本のテニス界にどれくらいの影響をもたらしたでしょう。
(👆出身校、渋川高校に建てられた銅像)
きっと戦争は終わった後。
敗戦の復興を果たし、テニス環境も戻ったあと、彼を追っかけるものが次々と現れ、再び世界と互角に戦える裾野がもっと広がったことでしょう。
当時の庭球会は悔やんでも悔やみきれなかったに違いありません。
そんな佐藤氏の偉業を約80年ぶりに成し遂げた錦織君はやっぱすごいんだ、、という言葉で終わりにしましょ。
あ、ちなみに
『栄光なき天才たち』
単行本になってるからご興味ある方はぜひ。