こんにちはstelliterです。
人に何かを伝える、教える際、
言葉が必要であればあるほど、内容が薄いと感じざるを得ないです。
私も仕事上、顧客提出用・社内外の教育資料を作成します。
それを本発表前に社内フィードバックをもらう際、返ってくる言葉で、
うん、、、
このあとの発表の際、説明を加えてくれるんですよね?
と部下などに言われたとき、もっとも凹む(笑)。
説明加えないといけない資料本文なんて、、、本文でもなんでもない
と、へし折られる。
図なり、データなり、箇条なり、序文とケツを結ぶべく整えたつもりの構成がまったく意味をなしていない。
一目でわかってもらえる資料にはなりえなかったわけですから。
私はやったことないけどテニスのアドバイスはどうなんでしょうね?
○○しろ!○○が△▲になってるから注意!
など、何らか指摘をもらっても教わる側に、
・・・どういうこっちゃ??
と受け取られたら、、
だからそれは、こうこうこうなって、こうだからこうなの、わかる?
と、明らかに
・・・それ先言わんかいな💦
と付け足しが必要だったアドバイスをする指導者もいるはず。
逆に
~~~~~~だからぁ、、ーーーーーーーなんであってぇ、、結局⬜️⬛️なんだよね
というような、
・・・その前段要らんのちゃう?混乱するもん
という脂肪の付きまくった指導内容もありそう。
これが重なると
あのコーチ、いっつも何言ってんのか、何を伝えたいのかわかんねぇんだよ
と思われちゃったりして。
発信側としてもっとも避けたい評価をいただくわけです(笑)。
どんな発信側も熱心なのは間違いない。
だからつい、
- 『なんでこの説明でわかんないんだよ、、、勉強不足だよ』
- 『小学生でもわかるだろこれくらい』
- 『○○何年やってんだよ、』
と、教わる側の理解不足のせいにしたがるもの。
ここがもっとも信頼関係を築くにおいてつまずいてしまうところでしょう。
これは教える側と教わる側の信頼関係の熟成度にもよる。
言葉少なくとも
『あ~、コーチは今こういうことを言ったんだな』
と、受け手がコーチの真意を感じとってくれる場合もあるんでしょう。
しかし常に双方同じカップリングということはありえませんからね。
どういった状況であれ、教わる側のいろいろなパターンを想定した準備を行なっていないといけません。
伝わらなかった大体の原因は発信側・教える側にあったと肝に命じておかねばイイ指導にならないし、双方にとって良い今後をもたらさない。
難しいんですよ、、だからこそ楽しいんだけど。
さ、私も作成資料を今一度作り直します。