こんにちはstelliterです。
今回はテニス界において、いつも問題指摘される
「ラケット破壊」
について記事にさせていただきたいと思います。
それではいってみましょう
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目次
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<テニス界だけではないラケット破壊>
卓球
バドミントン
メディアにおいてやたらテニスのみが取りざたされるこの
「ラケット破壊」「ラケットスマッシュ」
動画を見る限りテニスほど派手にやらかしている感じはないですが、実は卓球やバドミントンなど、ラケットスポーツなら基本的にどこでも起こっているようですね。
野球なんかは昔からしょっちゅうバットをバキバキ折っていたし、グローブもたたきつけていました。
とかく道具を使うスポーツはこういう傾向にあるようです。
<選手のプレースタイルで分けられるか>
ラケット破壊をはじめとして、癇癪をおこしがちなATPプレーヤーでみた場合
- ジョコビッチ
- マレー
- ペール
- ナルバンディアン
- バグダティス
- トミック
そして
- キリオス
- ディミトロフ
- ズベレフ
- バブリンカ
- トロイッキー
- 錦織(たまにですが)
などです。
なんとなくプレースタイル的に分けてみました。
ディフェンシブなグループとオフェンシブなグループです。
上記以外の選手にもたくさんいますが、ちょっと目立つ選手を挙げてみました。
どうでしょう、これといった要素は見当たりませんね。
選手のプレースタイルとして傾向分けをするのは少し難しいです。
<よくあるラケット破壊の理由>
心理学者などは
”チームスポーツなどと違い、試合中に自分の状況を理解してくれる対象がいない。その結果自分の気持ちを吐き出せる対象がラケットや物にあたるということになる”
このように説明されることが多く、また世間でも認識されています。
<ではどういう場面でラケット破壊は起こっているのか>
はっきりしているのは
「守りに入っているのに失点してしまった」
「守りに入っているのにミスしてしまった」
この2つのケースの際に非常に多く見られます。
むしろ攻めている時のミスに対してのほうが、まだ少ないようです。
もちろんトッププロのレベルですから、ディフェンシブなプレーの際にも、十分我々にはアグレッシブに見えます。
しかしよく観察してみると、破壊が起こったポイント、そこに至るゲームの進行状況と、とにかく選手が「守り」に入ってるときにそれは勃発しているのがよくわかります。
なんとなくこの傾向にはわたしも皆さんもお気づきなのではないでしょうか。
先の卓球などもそうですが、やはりカットやロブなど後陣から守って守って最後に失点・ミスしたときに、そのフラストレーションが一気に爆発します。
<なぜ攻めてミスより守ってミスのほうが破壊は起こるのか>
はっきりと区分けはできませんが、この傾向は理解できます。
攻めている時:「点を取りに行っている」
ここでは気分的に守っていませんから、フラストレーションがそれほど溜まってはいないんでしょう。
精神的にはゼロをプラスにしようというベクトルにあるからです
守りに入っている時:「点を取られたくない」「負けたくない」
この気持ちがより色濃く表れている場合です。
ゼロをマイナスにしたくない、、とにかく
「失いたくない」
というベクトルです。
両方のスタイルを具体的に「守りに入ってしまった」プレーで説明した場合、
オフェンシブな選手:ミスしたくない攻めをしてのミス
ディフェンシブな選手:いつもより消極的なプレーでの失点・ミス
この場合にラケット破壊は起こりやすいです。
<選手の本音>
状況として
- 負けられない試合である
- 格下の選手と戦っている
- 追い上げられている
このシチュエーションの試合ではこういうことが一番起こりやすいですね。もちろんこの限りではありませんが。
「なぜこんなに守っているのにあっちのポイントになってしまうんだ」
「一生懸命に走ったのにあんなミスをしてしまうなんて」
「ミスしないよう丁寧に攻めているのに、ミスするなんて」
こういった精神状況に追い込まれているんですね。
<調子は関係ない??>
もちろん調子は大いに関係します。ただし、調子が悪いだけでは選手は簡単にラケット破壊などしません。
<ラケット破壊とアドラー心理学>
選手がラケット破壊してしまう要因の一つとして、おそらくアドラー心理学でいう
「承認欲求」
これが大いに関係しているのではないでしょうか。
(アルフレッド・アドラー:オーストリア出身の精神科医、心理学者)
普段の試合やノーマルな精神状況の時とはどういう場面でしょう。要するに前向きな気持ちで試合に臨めている時とは
「調子はまあまあ、もしくはいい時」
「負けても仕方ないと割り切れている、格上との試合」
「ポジティブに楽しめている試合中」
「何も懸かっていない状況(試合でない、ポイント形式でない)」
かたや、前述の「負けられない」や「格下の選手が相手」など、ある条件下に置かれたときに自分がふがいないプレーが続いてしまった。
その時
- 「おれはこんなもんじゃないんだ!!」
- 「こんなミスを受け入れられるレベルの選手ではない!」
- 「調子が悪いからこんなミスをしているだけなんだ!」
という、
「自分はこんなものではない、もっとレベルの高いプレーヤーなんだ」
という、周りへの自己表現を反射的にラケット破壊という形で行なってしまっているのではないでしょうか。
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承認欲求に関してはもう多くの方がご存じかと思います。たくさんの解説文献や動画がありますが、下記の動画はとても分かりやすく解説されています。
<もし観客がいなかったとしたら>
人の目の影響というのはものすごく大きな力が働きます。
もしテニスをはじめ先の卓球・バドミントンが無観客試合だったとしたらどうでしょう。
おそらく無くなることはないにせよ、ラケット破壊はもう少し減るのではないでしょうか。
もしそうなったら、間違いなく人に見られているからそういう行為に及んでしまった影響は大きいと証明されるでしょう。
<特にわざとの場合は>
反射的に起こってしまったラケット破壊ではなく、もっとパフォーマンス的に行なっている選手っていますよね。
(このキリオスの行為など全く精神的に幼いと言わざるを得ません。素晴らしい才能を秘めているというのに)
ポイントはとっくに終わっているのに、イライラした気持ちを抑えられずコートチェンジの際に何本もラケットを折るという。
あれはまさに、
「こんなに怒るくらい、俺はさっきの自分のプレーに納得していないんだ、もっと普段はいいプレーができるんだ」
といわんばかりに観客にアピールするのです。
ラケットを折るという必要がないのにそれをやってしまうのは、つまり
「やりたくてやっている」
ということに置き換えられます。
承認欲求以外のなにものでもありません。
<理解できないのはなぜか>
わたし自身はラケット破壊を否定も肯定もしません。
単純に行為そのものを肯定する人など、どこにもいないと思っています。
しかしながらスポーツでもアートでもゲームでもなんでもいいです。
他者には理解できないくらいの情熱や精力を注いで取り組んでいる人が発したその行為を、事情も分からず
「大人げない」
「子供にみせられないよ」
「人間ができていないからあんなことをするんだ」
と一括りに否定してしまうのはいかがなものかと感じています。
犯罪抑止などと同列で考えたような、
「ラケット破壊をしたら罰金だ!」
「出場停止にしてしまえばこんなことはなくなるはずだ!」
などと短絡的な罰則制度でそれを封じ込めてしまおうという発想は、なんの効果も得られないでしょう。
<ラケット破壊はなくなるのか?>
すぐにこれらの行為がなくなることはあり得ません。
テニス、特にATPは卓球やバドミントンと較べひときわ、
「選手ファースト」の概念が強いです。
直接プレーに影響するタイムバイオレーションなどと違い、直接影響しない事象に関しては、今後もまだ動きは緩やかなものであると想定できます。
ラケット破壊に関しては、遅延行為などと違って反射的な行動です。
前項で述べたように、罰則云々ではとても選手の衝動を抑止することなどできないでしょう。
コーチや指導者といった選手に一番近い理解者の協力を得て、選手を十分に把握し、その上で今後そういう行為が起こらないようにどうコントロールしていくのかが重要になってくるでしょう。
<まとめ>
子供さんにはあまり見せたくない
「ラケット破壊」
起こってしまうメカニズムはよくわかりますが、できれば穏やかに楽しくテニスを観戦したいものです。